『ない』の美学

♪Ah こんな気持ち うまくいえたことがない Nai Ai Ai(『トランジスタ・ラジオ』)

清志郎は、『ない』と歌うことで、確かに存在するものを歌う。

♪Baby もうきみの目を今までのようには見れない
もう二度とぼくの目には見えない(『海辺のワインディングロード』)


『ない』という不在から、相手を想う優しさ、寛さ、豊かさ、美しさ、悲しさ、胸いっぱいの存在があふれてくる。

♪さびしくて我慢できないなんて一度も言ってない
君がいないと生きていけないなんて一度も言ってない(『ひとりの女性に』)


清志郎が『ない』と歌うとき、そこには、縦横に続く時間の流れと限りなく他者を慈しむ関係が存在する。

こんなに美しく否定形を歌う品位ある人を私は知らない。

そういう世界観を伝えたくて、でもうまく伝えられなくてもどかしいとき、セクシュアリティのワークショップでは、時折、清志郎の歌の力を貸してもらっていた。

この数日、iPodもDVDも使わずに、ただ心の中にある歌を心で流して聴いている。
しばらく開かずにいたタンスの引き出しから、十代のとき、二十代のとき、三十代のとき、四十代のとき、横浜で、神戸で・・・当時身につけていた服をするすると取り出すように。

♪誰も知らない 僕が作る歌を誰も知らない
でもそれはいいことなのかもしれない
僕の歌には力がありすぎるから〜(『誰も知らない』)


清志郎の作った歌を清志郎が歌うのを聴けるときまで、せめて、清志郎が矢野顕子と歌う矢野顕子の名曲「ひとつだけ」を聴いて、次々と出てくるシワくちゃになった服を伸ばしてはたたんでみる。


by teenspost | 2009-05-05 21:34 | ♪徒然Sawanism