知里幸恵の魂が銀のしずくとなって降る降る

今から90年ほど前にアイヌ民族の文化と誇りを伝える『アイヌ神謡集』を世に残し、わずか19才の一生を終えた知里幸恵の記念館が、全国各地2500名以上の人々の募金で北海道登別の生家に開館したのは去年の秋。

市民の心が合わさって生まれた記念館というのは、なかなか他に例を見ない。
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3年前に知里幸恵の生家を訪れたときのことはこのクログにも書いたが、ようやく念願の「知里幸恵 銀のしずく記念館」を訪れることができた。

母親が保管してきたという知里幸恵の日記、手紙、原稿…が、大自然の懐に大切に納められている。

明治時代の同化政策によってアイヌ固有の文化を否定され、学校教育の中ではゆえなき差別を受け続ける幸恵が、友達にあてた手紙には、「あなたと私には目に見えない厚い壁がきづかれていたことをごぞんじなかったでありませう」と記されている。

やがて金田一京助との出会いによって、祖母から口承された世界観を再評価し、誇りを持ち、「私の一生をカムイユカラ(神謡)に捧げます」と宣言したのが15歳のとき。
「愛する同胞が幾千年の間に残した文芸を書き残すこと。私にしかできない使命を感じる。」と。

その後、1922年5月に上京し、金田一京助の自宅に身を寄せ、『アイヌ神謡集』の口承ローマ字筆記と和訳を完成させるものの、編集者からも「アイヌと名乗り女学世界に寄稿すれば、世間から見下げられるかもしれない」と懸念されると、幸恵は日記にこう記す。

「私はアイヌだ。 どこまでもアイヌだ。アイヌだからそれで人間でないということもない。…私はアイヌであることを喜ぶ」と。

その年の夏、慣れない東京の暑さに持病を持つ心臓は衰弱していく。

東京の暑さが心配
心臓が衰弱しないか
神様に委ねる・・・

9月25日に帰る予定で、「おひざもとへ帰ります」と、柳行李(当時のトランク)を両親に頼む手紙が絶筆となって、9月18日に19歳3ヶ月の生涯を閉じる。

しっかりと記された手書き文字は、知里幸恵の魂として、今なお、この世界に向けた遺品だ。


f0107724_2175125.jpg 其の昔、幸福な私たちの先祖は、自分の此の郷土が末にかうした惨めなありさまに変わらうなどとは、露ほども想像し得なかったでありませう。

 時は絶えず流れる、世は限りなく進展していく。

 激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出てきたら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ませう。

 それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。

  大正11年(1922年)3月1日    記    『アイヌ神謡集』 序文 より 


18歳の幸恵の言葉が、銀のしずくとなって、降る降る、まわりに。


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by teenspost | 2011-11-03 16:46 | ♪渡り鳥の旅みやげ