不自由なスタンダード

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(会員ブログ「TeePee」の記事より 一部転載)


自分のスタンダード(基準)が高すぎて、苦悩する人が増えてきたのは、いつからだろう?





この場合のスタンダードというのは、行動する基準、達成する基準のこと。

だれが何をいうのでもなく、自分自身でスタンダードを高くすると、なにをやっていても満足できないし、納得できないし、さらには、何もしないうちから何もせずに諦めてしまう。

*失敗するな
*まちがえるな
*できる自分になれ

・・・というアダルティズムにがんじがらめに縛られた自己否定感、完璧主義と言い換えてもいいのかもしれない。

単に《あたしって、ダメだなー》《あたしって、しょうもないなー》っというのとはちがって、高いスタンダードに押しつぶされた自分を、一方で偽りのプライドで覆わなきゃならないとなると、ネジレマイオス三世になってしまうね。・・・なんだ、それ?


最初にそういう思春期相談に直面したのは、そう今から20年前のことだから、当時の十代はもうアラフォーか。

消費社会の中で、子育ては、お金を注ぐことで、子どもの自我を肥大させ、いわゆる<力を付与する虐待>が目立つようになっていった。

TVやメディアの商業主義は、隣家が手に入れたモノは、同じように手に入れなきゃ、と欲望を煽り、夢見ることや望むことの豊かさは二の次にして、「望むもの=得られるもの」の獲得が目的となり、大人も子どもも苦しくなった。

スタンダード(基準)と夢を一致させてしまうのはつらい。
スタンダード(基準)と夢はちがっていい。ちがって、あたりまえ。
スタンダード(基準)は与えられるものじゃなく、1人ひとりみなちがう。

「おうちはおうち およそはおよそ」と言いながら、豊かな夢と高い志をもちつつ、スタンダードは地道に現実サイズで暮らす大人を見ていれば、「自分はそんなに大した者ではないけど、それでもまあまあいいヤツだよ」という自己肯定感をもつ子どもでいられると思うのだ。

それも、スタンダード、高すぎ?

枝垂て咲くノウゼンカズラの花を下から上から眺めてみる雨の朝。


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by teenspost | 2014-07-21 11:06 | ♪徒然Sawanism