親の責任?

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キリン●先日、新聞広告に「子どもの歯並びは、親の責任です」というコピーがデカデカと出ていたよー。

ラクダ●やれやれ、歯磨きのCMで「お母さん、子どもの歯の健康はお母さんの責任です」という強迫コピーが出ていたのは、もうずいぶんも前のことだが、今度は「歯並び」かい。

キリン●あー、人間じゃなくて良かった。人間だったら、おちょぼ口直して、前歯引っ込めて、首を短くする矯正をしろとか言われるんだろうな。

ラクダ●あたしなんか、整形美容外科とかでコブを取られたり、シリコン入れられたりとかね。そうじゃなくても見ず知らずの無責任な人に「あんたの責任!」なんて責められたくないね。


人間社会じゃあ、そんな会話が成立しないほど、やれ、歯並び矯正は、国際人としても、知的水準の高さを示すスケールだとか、したり顔で発言するものまで登場し、国際人とか,知的水準というものがなにかはまったく問わずして、ひたすら悪い予言で脅かす手口は後を絶たない。(映画「チャーリーとチョコレート工場」に出てくる歯列矯正器具をつけていた少年ウォンカがオーバーラップする・・・)

思い起せば、乱塾時代などと言われた1970年代後半から、こういう暴力の連鎖が平気でまかりとおり、今日の想像を絶する親子関係や事件につながっているのだ。

そう、そう、いつだって、親向けに不安を垂れ流して、不要な罪悪感を抱かせ、子どもをネタに稼ぐ“追い込み網漁法”は、親を追いつめ、子どもを追いつめてきた。

教育バブルがはじけると、今度は体型・容姿から感性へと魔の手が及んでいるらしい。

なにが教育に悪いって、こんなに知的境界線(情報を鵜呑みにせず、自分の感性をもとに選択決定する力)を破壊する情報操作ほど教育に悪いものはないだろう。
それとも、「対話せぬまま適応する従順な人間」を作りたいのか?
・・・などと話したりすると、「そういうふうに言われなければ分からないし、分かってもなお不安です」という反応が返ってきたりする。

はーーー、過剰適応と上昇志向の果てにあるものは、空虚さだけなのに、不安を消し去ろうと情報に乗っかるほど、不安は増し、親の「責任」と「罪悪感」は募っていく。
他人は比較の対象となり、関係が切れて孤立する。

f0107724_233933.jpg青木悦さんの新刊「なぜそんなにまわりを気にするの?」が届いた。

「・・・もっと威勢良く、元気のでる本を書きたいと思いました。ただ、私にとってこの本は、けしつぶの最後のつぶやきのように思って書かれたものです・・・」(まえがきより)

これまで沢山の子どもの事件を子どもの視点で取材し、自分自身の子ども時代の家族の暴力を語りつつ、今の子どもたちの現実を想像しては眠れない夜を過ごし、各地で講演活動を続けてきた悦さんの新刊は、わけのわかんない魑魅魍魎の言葉に乗っかって、「親の責任」なんてものを背負い込んで、罪悪感に酔い痴れ、「自分の責任」も「子どもの責任」もないがしろにしている大人のための解毒剤だ。

「親の責任(罪悪感)」に中毒している人、ヘンだなと思いつつ流されそうな人、無力感いっぱいで途方に暮れている人、やり場のない怒りを抱えている人・・・。
「次の世代への責任として書いていこう」という悦さんのメッセージをしっかり受け取ろうではないか。

親の責任とは、過剰で不要な責任を背負おうことではなく、迷いながら間違えながら不安を抱えながらも、子育てを通じて、人と共に自分を生きてくことだと思う。

本についての詳細はこちら>>
by teenspost | 2007-09-21 23:13 | ♪徒然Sawanism