ヒロシマの祈り

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広島に行っていた。
広島は1970年に一度行ったきり。
当時、親以上に精神的に支えてくれた女性がいて、夏休みに大阪万国博覧会に連れて行ってくれて、その後、広島まで足を伸ばしたのだ。

九州育ちのその女性は高卒後、保育士として保育園で働いていたが、二十代後半で大学入学し、私が出会った当時は、哲学を専攻する大学院生で、小さな一軒家に女性3人で共同で暮らし、生計をたてるために教会のオルガン奏者とピアノの出張教師をする三十代半ばのシングルで、それまでの私が見たこともない女性の生き方をしていた。

音楽は大好きなのにピアノの先生とそりが合わなくて、何人もの先生を転々とめぐりめぐってその女性に辿り着いたのは私が小学校2年生のときである。
親友の家でピアノを教えている姿を見ているうちに、いつしか私も教えてもらうようになっていた。

間もなく、その女性は私のことを別の演奏家に紹介し、その後は、音楽だけじゃない、この世界の様々なことについて教えてくれるようになった。
私は海の向こうから聴こえてくる新しい音楽や自分の興味関心をそのまま話した。
20歳以上も年の差があるのに、目の前の十代になったばかりの女の子に一人の人として関わった女性は、きっと30年先40年先を視野に入れていたのだと思う。

万博という高度経済成長を果たした日本の祭典だけじゃなく、さらに西に列車を乗り継ぎ、広島まで連れていってくれたのだ。
女性はクリスチャンだったこともあり、広島では、孤児院を営むカトリック系の修道院に泊まった。

私は、親からもらえないものは、他人からもらえるのだ、ということを知った。

その後、私がどんどん自分の世界を広げていく17歳の頃には、女性は私から手を放し、それから海外へ旅立ったらしい。
なんとも不思議な関係だった。

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37年ぶりに広島に降り立ち、向かった先は、広島県内の中学校の養護教諭の研修会だった。
控え室での閑談の折、思いがけず私はその女性との思い出話をしていた。

会場には、ふだん中学校の保健室というたいへんな激務を担う女性たちが200名も集まってくださって、「養護教諭の心の手あて」について耳を傾けてくださった。

保健室の先生たちの心が少しでもほどけて安らぐことで、その向こうにいる沢山の中学生たちがどれほど救われるだろうと、祈りを込めて話をした。

         写真は、瀬戸内の海、三女神を祀る厳島神社
by teenspost | 2007-11-24 10:04 | ♪渡り鳥の旅みやげ