寄り添い味方する人の力

午前中、NACメンバーのXちゃんからメールが届いた。
新しく働きはじめた職場で、本採用になると決まったとたん、寝耳に水で当初と違う雇用条件が示され、「働き続けたいけれど、その条件じゃ生活が出来ない。辞めるしかないのか」という内容だった。

この数年、若者たちの労働状況がおかしくなっていることをあちこちで痛感してきたが、これは明らかな違法行為である。

権利侵害というものはいつも、理不尽な扱いを受ける側が、それだけでもダメージなのに、いざそれを正当に主張しようとするとき、さまざまな圧力や不要な負い目によって押しつぶされそうになるものだ。

そのしんどさに耐えきれずに、泣き寝入りしたり、自分をなだめて胸の内にしまったりする人も少なくない。

だけど、そうすることで、自分自身の価値を自分で低めてしまう。

そのやり場のない傷みは、自分に向ける暴力となるかもしれない。
恨みや憎しみを自分自身に向け、さらに弱いものへと向けようとすれば,暴力の連鎖が生まれる。

思い起せば、私だって、さまざまな場面で、思いもかけず理不尽な出来事に遭遇したことがこれまでに幾度となくある。
そのたびに、投げ出したいほど、しんどい思いに打ちひしがれた。

でも、そんなとき、そういう私に寄り添ってくれた人、味方してくれた人々が傍にいた。
ある人は話をただ聴いてくれた。
ある人は新しい智慧を与えてくれた。
ある人は暗闇の中に希望を示してくれた。
ある人は寄り添うことで勇気をくれた。

私がかろうじて投げ出さず、当たり前のことを当たり前に主張することが出来たのは、そういう他人の存在があったからだ。
その他人の力を私が探し求め、そして、ありがたくいただいたからだ。

その結果がどうであったかというよりも、そういう他者の力を得て、理不尽な出来事や困難な現実に向き合うことで、私の自己信頼は確かに培われていったと思う。

Xちゃんのメールには、いくつかの情報とともに私の体験も含めて「他人の力を借りるように」と返信した。
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10/25(土)から2日間、横浜を会場にサンフランシスコから招いたポール・キベルさんの非暴力支援者研修が行われた。
ポールさんの暴力予防プログラムに心から私が共感したのは、権利侵害や暴力を受ける人に寄り添い味方するアライ(Ally)をつくるトレーニングが暴力予防の焦点となっていたからだ。

ポールさんは言う。
「暴力の対極にあるものは、手を差しのべることだ」と。

他者を求める手、他者に差し出す手、それぞれに。
by teenspost | 2008-10-27 22:32 | ♪徒然Sawanism