銀の滴ふるふるまわりに

f0107724_1002942.jpg前々回のクログで紹介した知里幸恵(ちり ゆきえ)の言葉ではじまる「アイヌ神揺集」は、「銀の滴ふるふるまわりに 金の滴ふるふるまわりに」というフクロウの神様の美しい響きの歌が納められている。

先日、北海道伊達市でワークショップをした帰路、念願の登別の生家を訪ねることができた。

いまは知里幸恵の姪にあたるむつみさんが、住まわれていて、NPO法人知里森舎を運営している。

何人をも包み込んでくれるようなやわらかな雰囲気で、それでいて屹立と芯の深い声のトーンと語り口で、むつみさんは、今まで知りえなかった知里幸恵についてのエピソードを聴かせてくれた。

ふと、知里幸恵の人柄や、アイヌの物語を語り継いだ祖母の語り口とは、きっと、こういう雰囲気だったであろうと思った。

いまから100年前の北海道登別に生まれた知里幸恵は、祖母から語り聴かされたアイヌの神々の物語をアルファベットで文字にし、日本語に訳すことで、『アイヌ神謡集』を世に残し、わずか19才の一生を終えた。

当時の学校教育は、アイヌは劣った民族であると独自の文化を否定し、アイヌ語の使用を禁じていたが、カムイユカラ(アイヌの神々の物語)の語り部であった祖母と暮らしていた幸恵は、祖母から毎日アイヌユカラを語り継がれて育ったため、独自の言葉を失うことなく豊かな子ども期を過ごしたそうだ。

アイヌ民族への差別がまかり通る学校教育の中では劣等感と絶望に苛まれる幸恵だったが、学校外では祖母からアイヌ文化を語り継がれ、またキリスト教文化に触れることで、幅広い視野を育み、アイヌ女性として初めて女学校へ進学している。

15歳の夏には、言語学者、金田一京助との出会いによって、アイヌ文化への自信と誇りを回復する希望をつかむ。

将来を誓う恋人もいた幸恵だったが、アイヌ文化の誇りを伝えたいという自分の信念を貫くために、汽車と船を乗り継いで単身上京し、金田一宅でローマ字による手書きの翻訳・編集・推敲作業を続け、それを完成させた日の夜に持病の心臓病で急逝した。
19歳だった。

知里幸恵の人生とそこから生まれた貴重な作品は、百年後に生きる私たちにも大きな希望の光りを与えてくれる。
その知里幸恵の生涯と業績を未来に伝えるため、生家のある登別に2010年に記念館を建設する募金活動が続いている。

百年前の10代が後世に伝えてくれたすばらしいアイヌ文化を世界に向けて発信できるよう、TEENSPOSTは少しでもお手伝いしたい。

NPO法人 知里森舎のHPはこちらから
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アイヌの神様が驚いて尻餅をついたという伝説の浜。
by teenspost | 2008-12-09 10:09 | ♪徒然Sawanism