新しい風に吹かれて

 f0107724_961416.jpg前回に続いて、ボーイズ&ガールズの話。

この連日の猛暑の中で、“新しい風”を感じてみる。

中学高校へ出向いた折りに関わった各地の男の子たち、移動の電中で見かける男の子たちから吹いてくる“新しい風”を思い浮かべる。
レターカウンセリングの手紙の中で、直面している現実は旧態依然としていも、そこで苦悩している男の子たちからは、“新しい風”が吹いてくる。

それは現在大人になった人たちからはあまりそよいでこないかもしれない“新しい風”。
その昔、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌う同級生の男子から吹いていた風と、ちょっと似ているけれど、また別の“新しい風”。

この“新しい風”が私は好きだ。
♪The answer is blowing in the wind〜(その答えは風の中に吹いている)

以下、ただいま翻訳中のポール・キベルさんの著書「Boys will be men」の一部を紹介する。
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by teenspost | 2010-07-29 09:37 | ♪徒然Sawanism

Boys & Girls Together

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グループカウンセリングやワークショップの中で「うちの父親はおとなしかったけど、母親はすごい怖かった」という話を年齢性別問わずよく耳にしてきた。
なかには、「父(祖父)は仏のようだったが、母(祖母)は鬼のようだった」という人さえいた。

そして、そのエピソードの結末は「だからうちは男女同権」あるいは「女が強かった」と結ばれた。

不思議だなー。
男が寛容な家族で、女だけが四六時中イライラして当たり散らしているなんてことがあるのだろうか?
仮にそういう場所が存在したとして、そこは子どもにとっての安全な居場所になっているだろうか?
そういう父と母と子どもはどのように情緒的に関わるのだろうか?
強さって、なんなんだ?

家族の中で大人が自分を生きられてこそ、子どもにとって家族は安心な場所になり、男も女も情緒を閉じ込めずに健康に生きることができるはず。。。

4年前に米国の暴力予防教育家のポール・キベルさんを訪ねたときのこと。
ひとりの日本人男性が「僕の家は父親が気に入らないことがあると暴力をふるい、母はその犠牲者だった。だから僕は細かいことに口出ししない」と穏やかに語ると、ポールさんは即座に言った。
「それもまた男らしさのボックスだ。日常の細かい現実に関わらなくてもいいというのは、男らしさのボックスだ。暴力も回避も、どちらも女性を犠牲にしていることにおいて変わりない」と。

そのとき、このねじれ現象のからくりはハラリとほどけた。
そう、それはまさに近年の日本の家族に典型的な家父長制のパターンだ。

子育てや家事やわずらわしいことに口を出さなくても良いし、「ややこしいことに関わるな」というのは「男らしさのBOX」。
そういや、時代劇なんかで左うちわで「よきにはからえ」と余裕のお殿様が出てくるよね。

その一方で、「男を怒らせてはならない。男の代わりにうまく取り繕え」というが「女らしさのBOX 」。

かくして母たちが企業や学校の出先機関として子どもをコントロールし、父を細かいことで煩わせたり怒らせないように、あらゆる下請け作業をし、そうすればするほど、子どもとの情緒的なつながりは失われ、家の中で何も語らない男と少年たちが生まれ、身辺的・情緒的に女性の世話なくしては生きられなくなるのは、ヒジョーに哀しいことである。

さらには、「私が男性支配に抵抗し始めたティーンエイジャーの頃、最も強力な父権性の声とは母の声であった」とベル・フックス(教育学者、ブラックフェミニズムのリーダー)も回想しているように、自分がどのような構造の中にいるのかを知らない母たちは、同じ役割を娘たちに伝えようとするだろう。

著書「Boys will be men」の序章で、ポールさんはこう問いかける。

私は想像する。
充実した学校生活を過ごし、家族生活に積極的に関わり、コミュニティの一員として責任を引き受けられる男の子たちがいる世界を。
たくましくパワフルで、優しく思いやりのある男の子たちのいる世界を。
生き残るだけでなく、時代を先駆け、社会をより良くするために他者と共に生きる男の子たちを想像する。
あなたは、娘たちを犠牲にすることなく、この世界を思い描くことができるだろうか?


この問いかけに応えるべく、今年のTEENSPOSTは「ボーイズ&ガールズ トゥゲザー自立支援ネットワーク事業」を行う。
この事業名は、福祉医療機構の助成申請時に名づけたものだが、その後ふと、そういえば浜崎あゆみの歌に「Boys & Girls」というのがあったなー、もっと昔には、サディスティック・ミカ・バンドにも…同名異曲を思い出した。

ストレスフルな社会で受けた心の痛手(絶望、無力感)を、仲間や弱者に向ける「いじめ、虐待、DV」という暴力でアクトアウトするのではなく、また、「自分いじめ、自殺、ひきこもり、依存症」といった自分自身に向ける暴力で孤立するのでもなく、誰もが「人と共に生きる自立」を果たせるよう、まずは、大人たちが意識変革とネットワークづくりのための学びあいを必要としている。

今月末より「男の子エンパワメント講座」がはじまる。
毎回、素敵なゲストをお迎えし、同時に、ブルース&ラハシー&サワンのトリオ・ザ・ファンクが支援者向けのモデル事業も公開する予定。
詳しくはこちら
Let's get together!
by teenspost | 2010-07-22 18:23 | ♪徒然Sawanism

声のトーンは心のトーン


大事なことを考えるとき、気がつくと目をつぶっていることってないだろうか?
背中にボタンがある服を着る時や、手探りで探し物をするとき…。
一つの感覚を意識的に閉じることで、ひとつの感覚を研ぎすませる。

この人は何が言いたいんだろう、なにを伝えたいんだろう?と思うときは、しばし目を閉じて、その人の声のトーンに耳を傾ける。

先週までの選挙運動の期間中、どんな声が耳に届いてきたろうか?
そんなに真剣に聞いたわけでなくても、人が足早に行き来する駅前の街頭演説で、知らぬ間に音は耳に入ってくるし、ふと耳を傾けていたりする。

でも、それが心に届いたり響くかというと、それはまた別のこと。

声が心に届くかどうかは、声の大きさ小ささではない。
その人の持つありのままの情緒や情念が声に込められているかどうかだ。
声は存在そのものだから。

よく子どもを前にした大人たちは「どう言って聞かせるか?」と言葉を考えたりするけれど、子どもたちは目の前の大人の声のトーンを聴き取っていたりする。

自分を隠そうとする人は自分の声を抑えようとするけれど、声のトーンにはあらわれる。
気持ちを押さえられてきた人は、自分の声を出すこと自体を恐れるようになる。

そうやって素の自分を押し込める声とは、大きくても小さくても、饒舌であっても、寡黙、沈黙であっても、他者と心をつなぐものにはならない。
それは、“感情的”な声ともいえるし、暴力的にもなる。

言葉は嘘をついても、声のトーンは嘘をつかない。

だからこそ自分の声を回復するというのは、コミュニケーションの大きな力づけとなるのだ。

「声に心を注ぐ」ということは、日常のちょっとした場面で意識してみることもできるし、歌、朗読、演劇でトレーニングすることもできるだろうし、そういう声に意識を寄せている大人の声を耳にしていれば、子どもたちは感覚的に身につけていくだろう。

演説ではなくて音楽のようだといわれたマーチン・ルーサー・キングの声を聴きながら、歌うピアサポートTingos!のプログラムでは、「We shall overcome(私たちは克服する)」と心を響かせながら、“素の自分”を回復し、非暴力のコミュニケーションを紡いでいきたいと思う。
by teenspost | 2010-07-12 15:49 | ♪TINGOS! 歌便り

星に願いを

星に願いを懸けるときf0107724_20142058.gif
誰だって
心を込めて望むなら
きっと願いは叶うでしょう

星に願いを懸けるなら
運命は思いがけなくやって来て
いつも必ず
夢を叶えてくれるのです

When you wish upon a star
Your dream comes true──★。.:*:・゜

by teenspost | 2010-07-07 20:16 | ♪徒然Sawanism