それこそが価値あること

フィリピンの盟友マリチュー・カリーノと5日間ほぼともに過ごしていた。
オープンでユーモアに満ちたコミュニケーションに心が救われる。

一方ワークショップを通じて、いつも疑問に感じている日本人の問題があらためてマグマのように絶え間なく浮かび上がってくる。

なぜ、そんなに結論を急ぐのか?
なぜ、今に心を配らないのか?
なぜ、今おきていることを認めないのか?
なぜ、今を素通りし、先のことを気に病むのか?
なぜ、今を過去に縛らせるのか?
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盟友と暮れ行く秋の風景を眺めつつ、思い起こした言葉…

One day at a time,
This is enough.
Do not look back and grieve over the past.
For it is gone. . .
And do not be troubled about the future.
For it has not yet come.
Live in the present, and make it so beautiful.
That it will be worth remembering.

今日一日。
それだけで十分。
過去を振り返ってくよくよするな。
過去はもう終わったことだから。
未来を思い悩むな。
未来はまだやってきていないのだから。
今を生きよ。
今を美しく素晴らしいものにせよ。
それこそが覚えておく価値のあること。


明日は町田周辺をうろうろする予定。。。
by teenspost | 2010-11-25 09:20 | ♪徒然Sawanism

はじまりは、幼児期だった。
家にお客さんが来ると襖の向こうから登場してきて、歌を披露していたらしい。

幼稚園の時は、音楽劇「浦島太郎」で、浦島太郎はしんちゃん、乙姫はいずみちゃんで、私は“その他大勢のサカナ”の端役。油絵を描く父が写実的な鯛のお面を作り、一人だけリアルな鯛を頭につけてタンバリンを叩いていた。

小学校に入ると、学芸会でみんなが密かにねらう主役など目もくれず、「チンドン屋の三味線弾き」の脇役に立候補し、衣装、カツラ、メイク、歩き方…と役づくりにのめりこんだ。
6年生のときには,初めて脚本を書き、芝居づくりの面白さの味をしめた。

中学の時は、校舎の隅にある帚を突っ込むと音が出るピアノで友人とビートルズを歌ったり、シューベルトの魔王のパロディをつくったり、落選確実と言われながら生徒会に立候補した男子の応援演説などをしていた。(いい奴だったが,案の定,落選した)

高校の時は、ひたすら映画を撮りまくっていた。
ここでも脚本を書き、裏方にはまったが、太宰のパロディー「青山通りを走れメロス」を撮ったときには、アタマのゆるい娼婦の役で出演し、代々木公園で撮影中、何度か警備員に咎められた。
文化祭では、冗談半分で友だちと荒井由美のバンドをやってみたが自分でもかなり違和感があったため、そこから、Jazz、Rock、R&B、Funk…へ迷走した。。。

子育て中は、PTAの歓送迎会で母親ダンシングチームを結成。
母親全員ランドセル背負って子どもの格好をして踊りまくった。
本番よりも練習が楽しいと、ふだん保護者会に来ない母親たちも夜の練習にやってきてみんなで楽しんだが、翌年から「PTAの活動が華美になる」という学校側の意向で出し物は中止となる。
にもかかわらず、母親シアターを結成し、環境問題のペープサート劇を学校に持ち込んだり、地域のコミュニティセンターで公演した。

TEENSPOSTでも、啓発劇「アディクション物語」やら「家族問題大改造ビフォ→アフター」やら、語りぐさとなっているステージがいろいろあり、最近じゃあ、TINGOS!だな。

・・・という私のステージ歴だが、長年、「演劇」というものには、いいイメージがなかった。
というのも、小学校では、決まったセリフを覚えて、特異な抑揚をつけて語るのが苦痛だった。
思春期に入ると、演劇青年や演劇少女といわれる人の独特のナルシシズムと排他主義がイヤだった。

近年の日本では、音楽でも演劇でもアートでも、才能のある一握りの人のためのものという意識が根強い。
音楽や演劇やアートは、本来、生きていくためのご飯食べて呼吸して排泄するようなものでしょうに。
ステージ,客席、裏方…と楽しみ方と役割はそれぞれにある。
表現活動は誰もが持ってる喜び、生命力だ。

それなのに学校教育で「評価」なんてされると、英語教育でもなんでもかんでも「劣等感の種」になってしまうのは、哀しいねぇ。
美大でも卒業する頃には8割方が絵を描けなくなってしまうという。

2006年の夏、PETA(フィリピン教育演劇協会)の「アジア太平洋交流ワークショップ」に参加した私は、フィリピン、香港、台湾、日本人の年齢性別をこえた参加者が寝食を共にするシアターワークショップで統合アートを体験し、ついに自分が求めてきた「表現教育」「情操教育」に出会えたと思った。

それからは毎年のようにPETAを日本に招き、今年はWAM(福祉医療機構)助成事業の一環として、支援者研修に続き今月23日(祭)に広く一般に向けて公開講座を開催する。なんと幸せなことよ。。。

年齢性別は問わないので、10代からシニアまで歓迎!

とにかく昨今のいじめ事件にも象徴されるように、ますます「同調圧力」がかかる日本社会で、「表現を抑圧するトレーニング」は強化されても、表現教育はあいかわらずひどく貧しい。
人と人との違いが受け入れられずにパワーゲームに陥るのは、暴力の温床でしかないじゃない。

2008年に来日したPETAのボンさんは「私は政治家は汚職ばかりするし、物も金も何もない貧しい国から来た」と言いながら、日本の参加者と共にたくさんの豊かなものを創り上げた。

ボンさんの師匠のアーニーさんは、「サンタクロースを待っていても何も変わらないよ。自分で動かなければ。来てくれた人にそれが伝わればいい」と言った。

昨秋、来日したマリチューさんは、PETAの中心スタッフであり、女優であり、DVサバイバーであり、3人の思春期の子どもと暮らすシングルマザーでもあり、パワフルな女性だ。

一人でも多くの方に自由に表現する豊かな世界を実感してもらえることを願っている。
詳しくはこちらへ
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by teenspost | 2010-11-11 18:23

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携帯にTEENSPOSTの理事の一人、オケイさん(樋口恵子)からの着信呼び出しが入ったのは、先週のこと。
電話の声は、意外なことに、おつれあいの近藤さんだった。

なんでもオケイさんは旅先で風邪をこじらせ、羽田発の飛行機の中で容態が悪くなり、高知空港からそのまま病院に運ばれ,一時はICUに入っていたが、いまはICUを出て順調回復に向かっているということだった。

「樋口からの伝言を頼まれて、今、病院の屋上から電話してます」という近藤さんの話は続いた。
「ケイちゃんが病院に入ってすぐ、医者は気管を切開して気道を確保する処置をほどこそうとしたけれど、ケイちゃんははっきりと、私には必要ありません、と自分で言ったんだよ。“私には自分と同じ障がいを持つ仲間がいるので、よく分かっています。(健常者のレベルからみれば)大変な状態であっても、私たちには日常のこと。余計な処置をすることでかえって悪くなることがある。やらないでほしい”と医者に言ったんだ」と。

オケイさんは、脊椎カリエスの障がいで、肺活量が5分の1で、最近は酸素を使うこともあるから、風邪をこじらせれば、さぞや呼吸がしずらかったことだろう。

それでも、自分の身体の状態を自分で見極め,自分と同じ仲間のことを思い浮かべつつ、ICUでの医師の処置に対して、自分で選択し、要望を医師に告げたのだ。

「医者っていっても、障がい者に詳しいわけじゃないからね」
近藤さんの声は誇らしげだった。

自分の専門家になるということ、自分の人生の主人公になるということ、それがどういうことなのか、オケイさんはまたひとつ身をもって教えてくれた。

近藤さんを通じた樋口さんからの伝言は、「12月の会報に掲載予定だった米国と北欧の障がい福祉レポートの原稿が書けないので、よろしく」ということだった。

今年の夏は米国,北欧と飛び回っていたオケイさんだから,温暖な高知の自宅でゆっくり静養してほしい。
by teenspost | 2010-11-07 11:19 | ♪徒然Sawanism